信天翁通信No.319,320,321
通信No.319
小学生を連れて芸術の森に行ってきました。私は芸術鑑賞のつもりでしたが,小
学生には興味がなかったようでした。美術館にいた時間はほんのわずかで,広い
芸術の森を歩いている時間のほうが格段に長かったようです。
芸術の森は篠路と違って傾斜があります。そして,敷地内にはけっこうな階段が
あります。子ども達にとってはいい遊び場なのでしょう。階段の上り降りでは,
子ども達は自分が早いとかおばさんは遅いとか楽しんでいたようです。
早い・遅いといえば,運動会の徒競走に始まり,早いことが良いというのが子ど
も達の感覚のようです。九九の計算や百マス計算にしても早いのが良いことのよ
うです。そして給食までが早さを要求されているようです。
そこで,天邪鬼の私は遅いほうが喜ばれるものは何かと考えてみました。思いつ
いたのはマッサンで有名になった余市のシングルモルトでした。年数がいったも
のほど値段が高くなります。ウィスキーだけでなくお酒は,梅酒でさえ,時間を
かけて熟成するということがよく言われるようです。
また,「よくねたいも」というジャガイモが売れていると新聞にありました。特
別な貯蔵法で端境期まで貯蔵すると,イモの甘みがましておいしくなるとのこと
でした。雪の下大根や雪の下キャベツも保存することで甘みが増すそうです。
最近の事情はわかりませんが,お米は天日干しが格段おいしいと聞いたことがあ
ります。機械を使って乾燥させると簡単に均一な乾燥具合にできるのでしょうが
味は劣るということでした。今は乾燥機がよくなってそんなこともないのかもし
れません。魚の干物などはどうなのでしょうか?
パパッと手際よく済ませる。嫌なことはそれに越したことはないと思います。し
かし,楽しいことや楽しみたいこと,例えば給食なんかはどうなのでしょう?よ
く噛んで食べると消化がよくしかも肥満の対策にもなります。食事くらい,いえ
食事だからこそゆっくり楽しんでと思えてなりません。
一方,試験というのは時間が限られています。また,学校のような集団生活はタ
イムスケジュールをこなす必要がありますから,早く早くとなるのは仕方がない
面があると思います。だからといって「早い=良い」というものではないと思い
ます。子どものためとはいいながら,タイムスケジュールというのは大人の都合
やせわしい世間に合わせている面が必ずあると思います。
速さを競う運動会の徒競走ですが,よほどのことがない限り,面白いことに全員
が完走するまで待ってくれます。しかし,学校の試験は絶対に全員が終わるまで
待ってくれません。徒競走は途中で転んだりして,めちゃくちゃ遅くなって完走
するとかえって賞賛されたりします。試験でそんなことをすれば先生は仕事をす
る時間が無くなってしまうでしょう。当然,目的のまったく異なる徒競走と試験
を同列に論じるのはおかしいですが,なんだか不思議な感じがします。
小学校の低学年から早いまたは速いことが良いこととされているのは何だか子ど
も達が気の毒に思えます。
そして,その子ども達と接する私はどうなのでしょうか?試験にあわせワークそ
して試験が終わればやり直しなどの提出と子ども達と一緒に追われています。年
間スケジュールの試験に合わせ,また学校の進度にあわせと自分の外側の時間に
流されているという点では子ども達と同じなのでしょう。
しかし,子ども達と比べ,年齢からいくと,熟成している私のはずです。でも食
べ物だって時間をかければよいというものではありません。それなりの方法が
あってこそ熟成され味わいが深くなります。味わいがあってもいいはずの私です
が,そうはなかなかいきません。やはり熟成法にどこかまずいところがあったの
でしょう。しかし人生はまだ先があります。どうすればいい味が出るようになる
のか,私なりの熟成法を考えてみようと思います。
通信No.320
買ってきたけれど読んでいない,俗に言う「つんどく」です。読む本ではありま
せんが「紙飛行機」の本が「つんどく」になっています。そのうち小学生と作ろ
うと思っていますが,私が手作業をあまり好きでないせいか手付かずになってい
ます。子どものころから折り紙や工作のようなものが苦手だったし,夏休みの自
由研究で何か作るというのが昔からありますが,ろくな思い出がありません。そ
のせいか,今も何か作るといったことは苦手ですし,上手に折り紙を作る人など
をうらやましく思っています。
そんな私ですから,手先を動かし何かを作るということをあまりしていません
が,ゲーム機やスマホが当たり前の今の子ども達はどうなのでしょうか?
段取り七分,いや八分だったかもしれませんが,そんな言い回しがあったと思い
ます。要は物を作ったり組み立てたりするには,準備をしたり手順を考えたりと
いったことが大切だという話なのでしょう。
準備や手順という言葉が,近頃気になり,折り紙や工作などを思い出しました。
そのきっかけはといいますと,子ども達が問題を解くようすでした。単純なこと
では計算の順序でしょうか。方程式など複雑な形のものになると手順良くすれば
少しは面倒がなくなるし間違いが減るのですが,答が出ればいいといった調子で
手順はあまり気にならないようです。
手順どころかまさに順番です。英文の単語の並び順は日本語とまったく違いま
す。でもお構いなしに日本語の順番で単語を並べていきます。和訳をし意味も考
えていると思うのですが,日本語と違った順番であることになぜ気がつかないの
かと不思議に感じてなりません。
そういえば,折り紙の折り方には出来上がる形が違っても途中までは同じ折り方
をするといったものがあったと思います。問題の解き方も同じように同じ手法を
使うことは普通です。例えば長方形の面積はいつも「縦×横」です。知っている
ことを組み合わせて使うことがよくあるのですが,問題一つ一つに解き方がある
と思っているように見えます。
また,英語の単語にも途中まで同じスペルが出てくるものがありますが,意外な
ほど気がつかないようです。これは漢字でもいえることで,読みが同じならば同
じ旁や偏があったりします。漢字やアルファベットの書き順はきになるようです
が,部分に等しいものがあることには注意がいかないようです。漢字やスペルを
覚えるのには書き順などよりよほど役立つのですが。
まるで,問題ごとに異なる解き方があり,漢字や英単語はすべて別物で,それを
覚えなければいけないといった感じがあります。それもすべてを丸暗記しなけれ
ばいけないような雰囲気さえ感じます。ひょっとして,どこが関係するのかまっ
たくわからないのですが,なんでも便利になってボタン操作一つで何でもできる
ことと関係があるのだろうかと思ったりします。
話は変わりますが,物を作るときにはこんな形でなどと出来上がりを,部分だけ
でなく完成品を想定して作るかと思います。数学など問題によっては,例えば答
は絶対に正の数であるといったように,途中の式の形や最終の答の形を想定でき
るものがあります。そんなことを想定して解いていると間違いは減らせるのです
が想定するのは難しいことのようです。
全体を見て考える必要もあれば,部分を見て考えることも大事です。たくさんの
ことを子ども達に要求するのは酷なことなのですが,順序だててということをも
う少し心がけてほしいともいます。
こんなことを書いてきましたが矛盾もはなはだしいのですが,筆順にうるさいの
には参ります。「読めればいいでないか,もっと大切なことがあるだろう」など
と私は常々思っています。こんなことではいけないのかもしれませんが。
♥イモリ…先月書き忘れましたが,昨年の6月23日に飼いはじめたので記念すべき
一周年でした。太っちょと相変わらず言われていますが,元気なようです。イモ
リの餌の食べ方は丸のみです。よく噛んでいうことはないようです。ウーンどこ
か試験前の丸暗記を思い出します。イモリではない人間には,体のため脳のため
よく噛み砕くことが大切なようです。
通信No.321
計算をしてみて,妙な答になってしまった。きっと間違えたに違いない。まず最
初に確かめるのは,計算に手違いはなかったかどうか。計算には間違いがなかっ
た。次は,やり方を間違えたに違いない。計算を変えてみる。掛け算をしておか
しかったから,割り算にしてみる。割り算でおかしかったら割る数と割られる数
を入れ替えてみる。それでだめなら……。
小学生の小数の乗除,掛けるか割るかを迷う文章題でよく出会う場面です。試行
錯誤をし,正しい答を探す。特に珍しい場面ではないと思います。何度か計算し
て試してみるというのもそれなりに有効な方法かもしれません。試験の時でも計
算を速くできる子にとっては特に差し支えはないのかもしれません。でも,数字
だけを使って何種類かの計算を試してみるというのは感心しません。文章中に何
か手がかりがあるはずです。選択肢が少ないときはよいのでしょうが,もし,ジ
グソーパズルのように,たくさんの選択肢があるときは動きが取れなくなりま
す。ジグソーパズルならば,やみくもに当てはめるのではなく周りの色や模様の
関係をよく見てピースを絞り込むことが必要でしょう。
ジグソーパズルとは事情が少し違いますが,中学では,変な数字の答になったと
いう試行錯誤が使えなくなります。それは,中学になると実際の数値を使った計
算の機会が少なくなるからです。文字の式を使うことになり,大きい小さいと
いった数量感覚が感じられなくなります。アルファベットの式ですから,日常生
活の感覚とはかけ離れたものになります。そのため,計算をやり直すなどやりよ
うもなく,問題文だけで計算式を考えなければなりません。
中学の数学になると計算そのものは小学校高学年の計算よりも簡単になります。
それどころか足し算や引き算をしないで答えが式になる,つまり計算をしないと
いうこともあります。実はこれが子ども達には大変ことのようです。同じように
割り算を分数にするということも,小学校で一応習ってはいるのですが難しいこ
とのようで,割り算をやって割り切れなくて困るということになります。
足したり引いたりしない,計算練習をたくさんやってきた子ども達にとって,計
算せずに答えになるというのはとてもおかしなもののようです。方程式の練習で
式の一部分は何もせずに書くだけということがあります。これもなかなか難しい
ようです。計算も何もしないということは思った以上に難しいことのようです。
計算問題,計算をしなさいとあるからそうなのでしょう。でも最後の最後に式の
形で終わる。私など計算しない計算などしても意味がないと当たり前に思ってい
ますが,足しても引いてもいけない,子ども達にはなかなか納得がいかないよう
です。なんだかもどかしく思いながら計算練習をさせていましたが,「そうか計
算問題とか計算練習と言わなければいいのかも,式の変形の練習と言い換えてみ
よう」と思いつきました。長年の習慣がそう簡単に変わるとも思えませんが,ま
ずはやってみるかと思っています。そんな甘くはないと思いながら,こんなこと
でうまくいくのなら楽でいいのにと思っています。
さて,最初に書いた文章題を解くには,試行錯誤ではなく,日ごろから問題文を
よく読む必要があるという,ごくありふれたことになります。
♥ローソク出せ…やらない地域があるそうですが,塾の近辺では昔から行われてい
ます。子ども達が「ローソク出せ……」と家の前で歌い,お菓子をもらうという七
夕の行事です。お菓子を毎年用意するのですが,ここ数年は子ども達があまり来
ません。禁止されているとかいう話も聞きます。年に一度の,子ども達が楽しみ
にしている行事だと思っているので,禁止とは意外です。
今年もあまり来なかったのですが,驚いたことに子ども達は「お菓子をもらいに
来た」と口頭で言うだけで「ローソク出せ」の歌を歌わないのでした。「歌わな
いとあげないよ」と言ったのでようやく歌いましたが,歌うことが禁止なんで
しょうか。何でも禁止する時代なのでしょうか。なんだか子ども達が気の毒なの
と,ぎすぎすした人間関係のように思えてさびしく感じました。
♥イモリ…水槽を新しくしました。少し大きめの水槽にし,石など敷いてみまし
た。見ばはよくなったといえますがイモリにとって居心地はどうなのでしょうか。
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albatrus − 倉橋則幸(2015年10月01日)