続、そもそも「教育」なんていかがわしい
続、そもそも「教育」なんていかがわしい
ホームページ開設に当たって、このコーナーで、おこがましくも、教育に関し
たものを記してしまった。それも、転載依頼(担当者の配慮でもあったのだが)
があったとは言え、他誌への原稿の重複という不謹慎さであった。「文を書くこ
とは、恥をかくこと」と故八杉晴実さんが言っておられたが、それ以前の無自覚、
今更、己の軽薄さに恥じ入っている。
汚名(すらないのだが)返上ではないが、それ以来、原稿のたらい回しは、自粛、
否、やらないようにするつもりである。
さて、塾は、一般的には民間教育の一つとしての位置付けで、捉えられる。だ
から、塾で子ども達の学習を指導(支援・手伝い)する立場にある人達は、「先
生」と呼ばれる事が殆どである。
この呼称にこだわって、子ども達に、先生とは呼ばせずに、「おっちゃん・おや
じ」とか「オバチャン」とか「○○さん」と呼ばれる事を好まれる方々が、我ら
の仲間内には、結構多くおいでになる。
このような方々であっても、塾が教育的な側面を持つ・持っている事には、寛容
で、肯定的な方が多い。
事実、子ども支援塾は「教育」を強く意識し、教育のあり方と向かい合い、子
ども達の育ち行く状況の具体的なあり方として、「家族ネットワーク」の提言を
行ってきている。
そのメンバーの一員である者が、教育を揶揄したり、否定的に捉えるのは、些か
如何なものか、と思う人達も当然出てくるだろう。
が、しかし、である。そもそも、「教育」は、一般的に定義され得るか否か、と
言う厳密さからの出発でなく、曖昧なママであっても、現実に、教育的なものは、
身近な処に多く存在し、その存在は否定し難い代物故に、多くの人・誰もが程に、
論じ・論じられるものであるから、「揶揄か、否定か」にも、大いなる余地を残
すはずである。
先の塾での塾人の呼称だが、自身は、「呼ばれ方」にこだわらないから、「先
生と呼ばれる程の馬鹿は無し」程度の認識は持っているし、先生という言葉の
TPOから見て、使われ方や使う人によっては、良い感じがしないことは間々ある
が、「先生」と呼ばれることにも拘っていない。
同様、通常は、一般的な教育についての話題の折りに、「教育」という言葉の使
われ方に一々こだわらない。いわば、「いいかげん」である。
にもかかわらず、それが、勝手な折りには、厳密に考えたくなったりして、突っ
込みを入れたりする、身勝手なのである。
そもそも、支援塾に参加したきっかけは、障害を持つ人との出会であった。付
き合い方に悩み、いわば、HOW TO・付き合い方を探し求めるという、下心丸出し
で、アチコチしていた時に、八杉さんの会に出会ったのである。
そして、会に参加することになるのだが、してみると、「参加」そのものが、と
にもかくにも、楽しく、会の度に、ワクワクしたものだった。
勿論、教育論も飛び交っていた。しかし、夜を徹しての論議もだが、雰囲気とい
うか、仲間とのふれあいが、実に心地よく、理屈は棚上げして、付き合い、つな
がりが出来てきた。
全て、きれい事ばかりでなく、我が儘な性格から人様に随分不愉快な思いを与え
もし、誤解もあって切れてゆく関係も多くあった。
すべからず、出会いの後は別れしかないのが常である。こんな身に、四半世以上
に渡りお付き合いを頂けているのは、正に奇遇と言っても良い。
こんな仲間との話の時を始め色んな場で、ある意味、感覚的なものとして「教
育」の存在は肯定していた。そして、そのことは間違いではなかったし、今もそ
のスタンスは持っている。
一方、塾の稼業に入ったのは、そもそも、生活のためであった。所謂、「でも
・しか」で始めたのである。出だしの動機からして不謹慎なのである。
儲けのために塾を育て、株式会社、そして、上場企業にと、所謂、教育産業の雄
と言わしめるまでに至っている多くの方々を批判できるものではない。
誰もが来てもらえる様にと、「来るは拒まず、去るは追わず」なんて言ってい
たのも、誰にでも来てもらわないと生業が成り立たないからであり、自分が惨め
になりたくないから、粋がっていただけなのである。
しかし、入塾に際しては条件は付けない、自分の出来ることを伝え、相手に選ん
でもらう、その姿勢が、このかけがえのない支援塾の仲間を持ち得た、いわば、
悪人尚持て往生する、の類である。
こんな輩故、塾生との付き合いは、学校学習、一つの科目、その修得、という
一点にのみこだわった。塾では、その部分での関わりのみとした。
学習にこだわった合宿はあっても、色んな行事の類は、一切程しなかった。保護
者との懇談も、希望には応じても、塾として仕掛ける事はしなかった。頑なな程
に、一点、一断面にこだわってきた。
支援塾の仲間の多くが、「ぐるみ」の付き合い、塾での関係性作りに心砕き、
塾生達の家族関係や学校関係という背景にも立ち入り、一人一人の子ども達とき
め細かい関係性を結び同時に塾生間の人間関係にも配慮をし、正に、塾をキーに
した、アナザー家族を目指すのとは、正反対、と言ってもよい程のゆき方をとり
続けてきた。このスタイルは、支援塾に入ってからもである。
そんなゆき方の中に、「教育」の欠片すら無い、と言っても過言ではない。学
校や、他の塾を批判することは到底出来得ないのである。
そんな身でありながら、「教育なんていかがわしい」と何故言うのであろうか?
前置きが随分長く前置きだけになりそうなので、ほんの、さわりだけ。
この間、このホームページ上で「不登校生」のその後に関しての、話しがあっ
た。いわゆる、成功談?である。
その内容は、それなりに「いい話し」であり、それが生まれた塾としては、すば
らしい塾であろう。
勿論、ホームページで公開されずとも、仲間内では、この手の報告や話は、間々、
聞くところである。
不登校生を巡っては、我が塾でもいわば「ハッピー?」な話しもあるが、かつ
ての我が塾生でかつての不登校生は60歳を超え年金暮らし迄後3年だ。
「不登校・学力遅れの味方をしよう」という会の関わりで出会った人たちも30
代も半ばを過ぎ40歳が目前だ。
引きこもり・引きこもったまま、で、何が悪い?と、叫びたくなりながら、叫べ
ない、そんな、人たちとの付き合いが、脅しとしてはともあれ、現実的に語られ
ないのは、その存在そのものが、消されているようで、どうも気持ちが落ち着か
ない。
今迄、成功談を聞いたり読んだりして、元気付いた人も多かったかも知れないが、
傷ついた人達も又多かった事を忘れることは出来ない。
成功談の罪については、ライブの場でしか触れられない傾向があった。
このホームページ開設時の原稿で『「教育」はいかがわしい。仲間内で「塾が
詐欺なら学校は強盗」という発言があったが言い得て妙と思う。』と記したが、
この「塾が詐欺」云々は、資本論の中にも、「戦争は掠奪であり、商業は詐欺で
ある」というベンジャミン・フランクリンの言葉が引用されている程に、ある種
有名である。
関西支部の通信に、昨年、某フリースクールの親の会に出席した際に、20年か
らのタイムスリップ感を持った旨を記した。それ以来、この「感」をどう言語化
できるのか、思い続けてきていた。
「不登校」の話を機に、学校が何故強盗で、塾が何故詐欺なのか?この辺りとこ
の「感」が結びつくと言う思いがし、辛くとも、少しずつ振り返って見・考え直
して見ようと思うようになった。
塾が詐欺で学校が強盗ならば、その被害者は誰で、どんな被害を受けてきた・い
るのかを、である。(何時の日かへ続く)
*奇しくも、この原稿がアップされるのは、投票日前。次世代にどんな社会を
送るか問われる。 関西支部世話人 小寺
ギャロップ − 小寺顕一(2009年08月24日)